「ここのもつ鍋はクリーンカップですよ」
「博多の豚骨はクリーンカップが違うよね」
「このお店の大将が握るお寿司はクリーンカップなんですよ」
コーヒー屋さんとご飯を食べにいくとこういったフレーズが出ることがよくある。
美味しいコーヒーはクリーンカップが素晴らしいのだ。

「クリーン・カップ」とは

そもそもそのクリーンカップとはコーヒーの風味や品質を評価をする際に行うカッピング(テイスティング)において、フレーバーや後味の印象、酸味といった項目が8つあり、そのうちの一つに「カップ・クオリティのきれいさ」、「クリーン・カップ」という項目がある。

その「クリーン・カップ」は日本スペシャルティコーヒー協会(SCAJ)の定義によると、「コーヒーの品質の基本的スタートポイントとなるものです。カップのきれいさとは「汚れ」または「風味の欠点・瑕疵」が全く無い事。コーヒーの栽培地域の特性「Terroir(テロアール)」がハッキリと表現される為に必須な透明性があること。風味の「汚れ」「欠点」があると、Terroirによる風味のプロフィールが隠され、飲む人が感知できにくくなります。」とある。

力を与えてくれる

アートは人を感動させる力があって、元気を与えてくれたり、何かについて考えるきっかけにになるものだと、この地域に住む作家さんが以前仰っていたのがとても印象に残っている。
Camp&Goはこの冬に新たに「Home Stay Artist」という企画をスタートした。Camp&Goのキャンパーとして滞在しながら制作や展覧会といった作家活動を行う企画で、最初に滞在したのがLOGBOOK vol.5のインタビュー記事でも掲載させていただいた佐々木愛さん。滞在中は一緒にご飯を食べたり、温泉に行ったり遊びに行ったりしながら、Camp&Goでは毎日作品を制作し、その作品も交えて展覧会も開催してくれた。

佐々木愛さんの滞在中に特に印象に残ったことがある。
展覧会開催前の新聞社の取材で「作品を来場してくれた方にどう伝えたいか、どう見てほしいか」という質問に対して、「特にないです」という回答。
「私の中に絵のテーマや山のモデルはあるけれど、見た人は違う山を想像するかもしれない。私の考えとは違う捉え方かもしれない。それでいいんです。身近な山に似てるから好き、でいいんです。」そしてこう付け加えた、「風景のように見てほしいです。」「風景ってその人によって見方が違うけど、元気になったり、励まされたり、心が落ち着いたりする。そんな風に作品がなれたら嬉しいです。」

全てのものには人が関わっている

美味しいコーヒーは気がついたらカップが空っぽになっている。そして元気になったり、励まされたり、心が落ち着いたり。
流行りとかウケがいいとかではなく、自分がいいと思ったものに誠実に取り組んでいく。その結果、誰かに喜んでもらえたら、それはすごく嬉しいこと。コーヒーも素材の持つ素晴らしさを純粋に引き出すために、下処理をしっかりやって技術を磨き、道具を手入れしてきれいに保って、そういった見えない部分を大切にしている。それはどんなことにも共通していえる。「クリーン・カップ」はそんな見えない部分が味として表れたものだと思っている。だからクリーン・カップを感じるものは美味しいというだけではなく、見えない部分をしっかりやっているということにつながって信頼をも生むのだ。その信頼を感じたときに元気になったり、励まされたり、心が落ち着いたりするのかもしれない。

次の世代へ

私たちは何かを選ぶとき、たくさん選択肢がある中から「クリーン・カップ」を感じるものを選ぶということは、そのものにどういった人が関わってきたものなのか、関わってきた人たちがどれだけの信頼関係で結ばれているのかを考えることでもある。
次の世代、子供たちに全てのものには世界中の人が関わっていて、信頼関係で成り立っているということを伝えるためにも、私たち選択する側が「クリーン・カップ」を選ばなくてはいけないのだ。