焙煎を始めてからずっと使っていたFUJIの焙煎機が新しいオーナーのもとへ旅立ちました。
設置してから一度も故障することなく、元気に回ってくれました。

手放せない道具たち

僕は基本的に道具を手放せない人だ。
スキー、ハイキング、トレイルランニング、カヤック、さまざまなアウトドアスポーツを生活の一部として暮らしていて、道具もかなりの数がある。
使用頻度がかなり高いので劣化が激しく、1シーズン使うとほとんどの道具がボロボロになってしまう。傷だらけのスキー板、リペアの跡だらけのウェア、大きな穴が空いて履けなくなったシューズまで。

古くなっても使われなくなっても手放せないものの数々。ひとつひとつの道具、その道具のひとつひとつの傷に思い出が詰まっていている。
道具が自分を新しい世界に運んでくれ、傷が成長の跡だったりするものだ。

物を大切にする

おじいちゃんはカバン職人で、幼い頃おじいちゃんの家に行くと工場が遊び場になっていた。
革を縫う力強いミシンの音とAMラジオの音が流れ、材料の端切れで遊んでいるのが心地よかった記憶がある。
「カバンを大切にする人は、人のことも大切にする」
おじいちゃんの言葉は幼かった自分の記憶に今もしっかりと刻まれている。

過去があってこその今

FUJIの焙煎機が新しい場所に移る日はやっぱり特別だった。
長年使い続けて自分が染み込ませた機械のクセやあらゆる所にある傷の説明。改めて長くたくさん焙煎してきたんだと思った。
ガス圧と火力、ダンパー。音や香りで感じ、色を観察しながらの操作。そしてカッピングを通しての検証。
FUJIを通して学んだことはたくさんあって、焙煎の技術の基礎となるものはこの機械だからこそ身についたと言えることとはたくさんあった。FUJIでやってきたことが新しい焙煎機のPROBATでも大いに活かされる。
新しいオーナーさんはもっともっとたくさん焙煎してかわいがってくれるはず。

新しい物語

FUJIの焙煎機が置いてあった場所にはご縁があって栗の木の一枚板のテーブルがやってきた。
機械はなくなってもたくさんコーヒーを焙煎していた機械があったという事実は残り、その機械で身につけた技術は発展して、より美味しいコーヒーとして受け継がれ、一枚の栗の木を囲ってたくさんの人がそのコーヒーを飲みながら談笑する。
また新しい物語がはじまっていく。そう思うと道具を大切にすることの深い部分での意味がなんとなくわかるような気がする。